エピソード①で外資系と日系のどちらを選ぶのか、エピソード②でCFOへの出世を狙うのか家族を優先するのか、の転職エピソードをお話ししてきました。今日は転職としては最後となる、3回目の転職のエピソードとなります。
2回目までは複数の転職先候補の中でどれを選ぶかというお話でしたが、今回は当時在籍していた安定した会社を継続するのか、転職してCFOに再挑戦するのか、の選択となります。
今回も、転職活動の追体験をお楽しみください!
安定した外資系IT会社での生活
当時私は44歳。2年間在籍していた外資系IT会社(GAFAM)はとても居心地の良い会社でした。
収入は高く、残業は少なく、チームの雰囲気も良く、お互いに助け合える職場関係。必要に応じて在宅勤務もできましたので、家族をサポートする時間もしっかりとれました。年に1~2回ある海外出張の時には、有給をくっつけていろんな国での休暇旅行も楽しめました。
傍から見るととても恵まれた環境。ただ、当時の私は、自身のHSS型HSP(かくれ繊細さん)の気質もあって、少し物足りなさを感じ始めていました。
散歩中にかかってきた電話
そんなある日、近所を散歩中に、20代の頃に上司だった方から一本の電話がかかってきました。
その電話によると、「知人が新しく日系企業の社長に就いたのだが、CFOの適任者がおらず探している」とのこと。私の元上司の方は、その時私の名前が思い浮かんだらしく、電話を掛けたということでした。
当時在籍していた外資系IT会社に満足していた私は、「今は転職する気はありません」と、その電話を一度切ってしまいます。
一度はお断りしたものの…
ただ、その日帰宅してから、「本当に断って良かったのか」という思いが、頭の中に巡っていました。
家族のサポートのために一度は断念したCFOのポジション。家族優先の気持ちは変わっていなかったものの、話もきちんと聞かずに機会を流してしまうのは、もったいないのではないか。
一晩考えた結果、翌日に元上司の方にお電話して、先方のお話だけでも聞いてみることになりました。
社長と人事部長との面談
すぐに社長と人事部長との夕食を兼ねた面談が設定されました。
私の経歴や強み・課題は元上司の方から先方に共有済みでしたので、スキルや経験の確認は15分くらいで終わって、残りの面談の内容はお互いの状況の共有が中心となりました。
社長の事情
その社長は元外資系の出身で、日系企業はその会社が初めてということでした。
外資系企業でのCFOは、社長の右腕となってビジネスの投資判断をリードしていく役割を任されます。一方で、日系企業の多くでは、経理・財務を担当する経理部長はいても、ビジネスを理解しているCFO的な役割を果たせる人材がいないとのこと。
そういった背景があって、社外の知り合いに適任者がいないか声をかけていた、ということでした。
私の事情
一方で、私の事情もお話ししました。
家族のサポートのために、在宅勤務も含めた融通の利く働き方が必要な事。一方で、スキルやキャリアアップのために新しい挑戦も続けていきたいということ。
先方からは是非来てほしい、ということを言われました。しかし、この時点では、当時在籍していた外資系IT会社の居心地が良さから、転職する気持ちはそれほど大きくならず、承諾の返答はできずに面談は終了しました。
徐々に高まる気持ち
ただ、面談を終えて帰宅する道すがら、その日系企業のCFOポジションに徐々にひかれていく自分を感じ始めていました。
- もともと当時の仕事内容に物足りなさを感じ始めていたこと
- 日系企業の社長から、「在宅勤務も含めて、家族を最優先できる体制を会社としてサポートする」と言っていただいたこと
これまではキャリアか家族かという二者択一の選択肢でしたが、今回の機会は、そのどちらも目指せる環境なのではないか。
やがて迎える50代への焦り
気持ちが揺れていたもう一つの理由が、漠然とした「50代への焦り」でした。
それまでの経験から、自分は比較的飽き性で、定期的に新しい事への挑戦が必要な性分だと理解し始めていました。
それまでは、2~3年ごとに仕事内容を社内外で変えていくことが許容されていましたが、50代になると転職も難しくなります。かといって、同じ仕事を5~10年続けていける性分でないことも明らかでした。
今のままではまずい
そういった状況を考えると、自分である程度好きな仕事を選んでいける「スキル」と「資産」が必要だと感じ始めました。高い「スキル」があれば50代になってもニーズがありますし、十分な「資産」があれば、生活のために望まない仕事をしなくて済みます。
そして、それは当時の外資系IT会社で働き続けても達成が困難だろうと思われました。
私の外資系IT会社でのポジションは、課長という肩書ではあったものの、部下や組織を持たないポジションでした。40代以降で対外的に人材価値を高めていくためには、専門性とともに組織を育てた経験が大きく問われます。
また、給料は比較的高かったものの、仕事を辞めて生活していけるほどの貯えを作るためには、少なくともあと10年が必要でした。それまで待っていると、50代半ばになってしまいます。
新しい挑戦で「スキル」も「資産」も得られるチャンス
一方で、今回のチャンスをつかめば、その両方が手に入る可能性がありました。
CFOとして経験によって、ビジネススキルの点からも、組織運営・育成の点からも、大きく人材価値を上げることができます。
また、収入面も大きく上がる可能性が見込まれるので、いざという時に会社を辞めて独立できる資産もより早く構築できます。
最終決断 – 転職してキャリアアップ
その後、家族とも相談した結果、日系企業への転職を決めました。
社長や人事部長と面談をしてから3週間が経っていました。かなりの熟考となりましたし、その間待っていただいた先方の企業にはありがたい気持ちでいっぱいでした。
最後に私の背中を押したのは、新しい刺激を求めるHSS型HSPの気質と生来の楽観性だと思います。「苦労するかもな」とは思ったものの、「これまでリスクをとって挑戦したことで得られたスキル・知識・経験」といった成功体験も、決断する助けとなりました。
後日談
私はその日系企業にCFOとして約3年務めることとなります。
その間に、その日系企業は他企業に買収されることとなり、その買収交渉や組織の移管作業など、事前に想定していた以上の経験やスキルを積むことができました。
また、それに伴って一時金等も支給され、資産も想定以上に積み増すことができました。
そして47歳を迎え、後進も育てることができたタイミングでサイドFIREを決断しました。
あのタイミングで日系企業のCFOのポジションをとっていなければ、これだけ早くサイドFIREを決断することはできなかったと思います。
運に恵まれた側面もありますが、前向きに楽観的に挑戦し続けたことで得られた運であったとも思います。
☆ この記事が少しでもいいな!と思ったら、いいねボタン、SNS共有をお願いします!
おすすめのFIREブログが揃っています!
コメント